天才だけにできること-畑儀文の邦詩『冬の旅』を聴く
                
                 ドイツ文学者 元早稲田大学教授   佐藤 巌



  畑儀文と渡辺治子のドゥオによる、実吉晴夫の邦詞『冬の旅』が、発売されました。邦詞という表記は、単なる訳詩を音符に合うようにアレンジしただけのものではない、と実吉は言いたかったのでしょう。このCDに付属する冊子には、24曲すべての邦詞に《返歌》が添えられていて、そこにはミュラー=シューベルトとの対決、あるいは日本とヨーロッパの文化の対決という實吉の思いが篭められているのかもしれません。

これまで畑さんが邦詞で歌われる時、あたかも實吉作の邦詞をシューベルトの音楽が包んで一つになったかのような印象を抱いたものでした。
畑儀文という人は、シューベルトの全歌曲を歌うと宣言して、それを実現したこともあり、関西では絶大な人気の持ち主です。それも宣伝によって生み出された、当世風の、作られた人気ではありません。一方で彼は、ドイツ語の通じない聞き手を前にしてドイツ語で歌うことに、空しさを感じていたらしく思われます。このことがすでに、譜面を音にするだけで満足している並の音楽家と違うところです。しかし日本語で歌うのは、まず言葉として聞き取れる発声が必要です。日本人の声楽家で、日本語の歌を歌うことのできる人が何人いることでしょうか。

 そして日本語が、ヨーロッパ語の強弱と違って、皮肉にも古代ギリシア語と同じ種類の高低によるアクセントを持つことが、訳詩で歌うことを不可能にしています。しかし實吉の邦詞においては、言葉の意味を犠牲にすることなく、メロディーの高低に言葉のアクセントが合致しています。このCDをお聞きになったある御婦人から、このことに驚いたというお便りをいただきました。詩の意味を少しも損なうことなく、高低のアクセントをメロディーに合わせるのは奇跡に近く、文字通り血の滲むような苦心が強いられたに違いありません。

シューベルトの歌曲を日本語で歌うことに関心を持った畑さんも、同じほどの苦心をされたことと思います。ちらっと盗み見た畑さんの譜面には、色鉛筆による事細かな書き込みがあって、邦詞の書かれた譜面を歌として実現するまでの苦心の跡を見る思いがしました。
これだけのエネルギーを費すのは、天才にだけできることです。かつてモーツァルトは、「苦労はすべて自分が引き受けて、聞き手にはひたすら楽しんでもらう」というような意味のことを言っています。晩年の何曲かのシンフォニーを一週間で作曲したなどというのは、19世紀の芸術家伝説に過ぎません。

 その一方で、ヴィルヘルム・ミュラーが『冬の旅』を含む詩集の後書きに、「拙い詩だが、ここにはメロディーがある。いつの日かそのメロディーを感じ取って、音楽にする人が現れるにちがいない」という意味のことを言っています。モーツァルトが、ゲーテの作とは知らずに、同質の魂に引き寄せられて『すみれ』を作曲したことが思い出されます。しかし叙情詩(Lyrik)とは、ギリシア語の《歌》 (lyrikos) に由来する言葉で、ミュラーの言葉は、この歌には歌があると言っていることになるので不思議に思っていましたが、最近の研究者のなかには、失恋に苦しみ、ひたすら死に向かって歩んで行くこの青年の歌に、比喩が隠されていたらしいと言う人がいます。フランス革命の波及を恐れて、信じられないような弾圧を若者たちに加えるハプスブルクの都ウィーンで暮らし、澄んだ水を濁らせて鱒を釣る詩(詩人クリスティアン・シューバルトは突然逮捕され、裁判もなしに10年も獄中で暮らしました)に作曲し、自らも強いられた無為を嘆く詩を書いた(1824年9月21日、ショーバー宛書簡 『シューベルトの手紙』/メタモル出版刊 所収)が、同じく学生狩りに狂奔する軍国主義プロイセンの首都ベルリンの大学で学んだミュラーの詩に、何も考えずに作曲したとは、むしろ信じがたいことです。

實吉晴夫がもう少し生きてこのことを知ったなら、そして畑儀文があれほどのエネルギーを費して邦詞によるシューベルトをあの美声と豊かな声量で歌ってくれていると知ったなら、どんなに幸福な晩年を迎えることができたことでしょうか・・・。渡辺治子のピアノにも、彼は満足したことでしょう。


C「ミューズの子」


1. 恋人は近くに Nähe des Geliebten D.162 (試聴)
2. 春の信仰  Frühlingsglaube D.686
3. マス Die Forelle D.550
4. 夜と夢 Nacht und Träume D.827
5. 水の上で歌う Auf dem Wasser zu singen D.774
(試聴)
6 .笑いと涙 Lachen und Weinen D.777
7 .菩提樹 Der Lindenbaum D.911-5
8 .春の夢 Frühlingstraum D.911-11
9 夜咲くスミレ Nachtviolen D.752
10.ミューズの子 Der Musensohn D.764
11.野バラ Heidenröslein D.275
12.湖上にて Auf den See D.543
13.春に Im Frühling D.882
14.よろこび Seligkeit D.433 
(試聴)
15.挨拶を贈ろう Sei mir gegrüßt! D.741
16.セレナーデ Ständchen D975-4(試聴)
17.リュートに寄せて An die Laute D.905
18.鳩の使い Dei Taubenpost D.957-14
19.子守歌 Wiegenlied D.498 
(試聴)
録音:コジマ録音

  歌/畑 儀文   ピアノ/渡辺治子
定価2500円(税込み)

実吉晴夫 Haruo Saneyoshi  (1940~2003年)
東京生まれ。1963年早稲田大学第一文学部卒業。同年西ドイツ・ハイデルベルク大学哲学部入学。1966年修了、帰国。中央大学、國學院大學他講師。1976~197  8年北里大学医学部教授。1980年日本シューベルト研究所設立。1990年㈱メタモル出版の後援により「国際フランツ・シューベルト協会」を設立、代表となる。著書、『シューベルトの手紙』訳・解説(メタモル出版刊)、『ヨーロッパ非合理主義の系譜』(悠久出版刊)、『日本人のためのドイツ語』(私家版)
『東西比較論管見』(大学紀要)、『みにくいあひるの子』(歌集・近代文芸社)、『自伝フィッシャー=ディースカウ 追憶』(共訳・メタモル出版刊)
邦訳CD化にあたって

表題にある「実吉晴夫邦詩で歌うシューベルト」の「邦詩」という表現にこだわった理由を、シューベルトの全声楽曲の邦詩化を目指していた実吉氏は、生前こう述べています。
 -それは決して“訳業”ではない、ということである。そうではなくて、私がやろうとしているのは、原詩をもとにシューベルトが創造した世界、すなわち彼の「小宇宙」を、自分の「母国語」によって再構築することなのだ。多くの人たちが陥ってきたあやまり、たとえば“シラブル(綴り)”の数を合わせるだけで「歌う」ことをまったく考えずに、自分自身で歌ってみることさえせずに制作する、というより、“訳詞をでっちあげる”あやまりだけは避けようと考えた。私はそれらすべてを「あたかも日本の歌であるかのように」歌ってもらうために、せっせと日本語化してきたつもりである。邦詩によるシューベルトの「歌」の再現であり再創造なのだ。そして、それが成功するかどうかは、同じ精神で再現・再創造を目指している歌い手とそしてピアニストの力量にかかっている、というえよう。-
 「たとえシューベルトを知らなくても、まして詩人の名前をしらなくとも、歌い継がれ、日本全国津々浦々、カラオケでも歌われることこそ本望」が氏の口癖でした。その一文を『シューベルトの手紙』の後書きで読まれた畑儀文氏からアプローチがあった時は、残念ながら実吉氏はこの世の人ではありませんでした。
 今回の収録された19曲は、氏が残した200曲にも上る邦詩の中から、第一弾として、「カラオケでも楽しんで歌えるシューベルト」というコンセプトのもと畑氏が選ばれたものです。
 そして、「再創造」されたかどうか-それはきっとお聴きになった皆さまがこのCDの中で確認されることと思います。

 畑 儀文 Yoshifumi Hata テノール
兵庫県篠山市生まれ。大阪音楽大学大学院修了。小林道夫の伴奏による初リサイタルを行う。以後ソリストとして、ペーター・ダム(ホルン)との共演、イエルク・デームス(ピアノ)との数多くのリサイタル等大きな成果を収めた。91年オランダ・アムステルダムで高名なバロック歌手マックス・ファン・エグモントの元で研鑽を積む。以後オランダ各地で毎年受難週には、エヴァンゲリストとして招かれ、近年はドイツ・ライブツィッヒにおいてバッハ作品のソロを務める。93~99年3月にかけシューベルト歌曲全曲演奏を成し遂げ、国内外で話題を集めた。06年から新たなシリーズ「シューベルティアーデmitファルテピアノ」を展開中。日本コロムビアからCD「日本のうた」「新しい日本のうた」「トスティ歌曲集」「昭和のうた」
「美しき水車小屋の娘」をリリースし、その天性の歌声はジャンルを問わず心に響く感動を呼び、注目を集めている。「大阪文化祭本賞」「咲くやこの花賞」『大阪府民劇場奨励賞」
「坂井時忠音楽賞」「兵庫県芸術奨励賞」「兵庫県文化省」等多数の賞を受賞。日本テレマン協会ソリスト、シューベティアーデ・ジャパン代表、丹波の森国際音楽祭シューベルティアーデたんば総合プロデューサー。武庫川女子大学音楽部教授。
 

渡辺治子 Haruko Watanabe
 ピアノ
東京藝術大学別科修了。チェコ共和国政府費奨学生としてプラハに留学、プラハ芸術アカデミーにおいて室内音楽の巨匠で知られるヤン・パネンカ氏のもとで研鑽を積む。帰国後各地でソロリサイタルを行いソリストとして活動するかたわら、シュトゥットガルト室内合奏団、ベルリン室内合奏団、チェコフィル六重奏団、同八重奏団などとの室内楽との共演も多く、アンサンブルピアニストとしても活躍を広げている。02年ドヴォルザーク国際音楽祭に日本人ソリストとして初めて招待を受け好演、03年、04年にも続けて出演する。07年にはプラハ・スークホールにてチェコフィル主催の室内楽演奏家に出演し、大成功を収める。アルテスモンよりシューベルト/ドヴォルザーク五重奏曲のCDがリリースされ、チェコフィル室内音楽シリーズの1枚に選ばれている。
Schubert♪ 『冬の旅』 WINTER REISE           『ミューズの子』 Der Musensohn           実吉晴夫邦詩で歌うシューベルトのCD


※権利者の許可なく音楽・音声データの転載コピーは法律で禁じられています。

  『ミューズの子-DER MUSENSOHN』
  
      1・5・14・16・19曲目が試聴できます。

※権利者の許可なく音楽・音声データの転載コピーは法律で禁じられています。

リンク:国際フランツシューベルト協会

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 冬の旅

1.おやすみ Gute Nacht
2.風見の旗 Die Wetterfahne
3.凍った涙 Gefrorne Tränen
4.雪と氷の下へ Erstarrung
5.菩提樹 Der Lindenbaum
6.あふれる涙 Wasserflut
7.川の上で Auf dem Flusse
8.回顧 Rückblick
9.鬼火 Irricht
10.休息 Rast
11.春の夢 Frühlingstraum
12.孤独 Einsamkeit
13.郵便馬車 Die Post
14.霜降る頭 Der greise Kopt
15.カラス Die Krähe
16.最後の希望 Letzte Hoffnung
17.村で Im Dorfe
18.嵐めく朝 Der stürmische Morgen
19.幻 Täuschung
20.道しるべ Der Wegweiser
21.宿屋 Das Wirtshaus
22.勇気 Mut!
23.幻の太陽 Die Nebensonnen
24.門付けのオルガン弾き Der Leiermman
 コジマ録音


  作曲/フランツ・シューベルト
 原詩/ウィルヘルム・ミュラー
 
歌/畑 儀文(T) ピアノ/渡辺治子
        定価2800円(税込み)



推薦の言葉

                        燃えたぎる恋の歌―『冬の旅』

―どの一曲をとっても「燃えたぎる恋の情熱」が脈々と波打ち、泡立ち流れている。まるで南の国の火の山からほとばしる溶岩流のような「胸に燃える思い」が、天に向かって叫んでいるようだ―と、邦詩者である実吉晴夫氏は「冬の旅」に述べています。
 あまりにも有名な、そして日本人には特に愛好者が多い「冬の旅」ですが、「恋の歌」として聴いている方は少ないかもしれません。しかし、畑儀文さんの歌う実吉邦詩の「冬の旅」を聴くと、其の一字一句、一音一音によってまさしく「燃えたぎる恋の歌」であることが分かります。
 CDを聴かれたドイツ文学者の佐藤巌氏は「まるで邦詩が先にあって、シューベルトが後で曲をつけた様な気がする」と言われました。
そもそもそんな錯覚がおきる程、実吉邦詩と畑さんの卓越した歌唱とが見事にとけ合って生まれたのがこの「冬の旅」です。ピアノは演奏会でも息の合ったパートナーを組まれている渡辺治子さん。シューベルトの変幻するピアノパートを実に巧みに演奏され、『冬の旅』の素晴らしさをあますところなく伝えてくれます。
 是非御一聴下さい。

邦詩とメロディ−は「連理の枝」、歌唱とピアノは「比翼の鳥」

太田展子

 初めてこのCDを聴いた時、遠い昔の寒い冬の日の記憶が蘇った。子供の頃、住み慣れた街を離れ、新しい土地へ引っ越した日のことである。父の転勤で、幾度も転居を繰り返した私には、「故郷」と呼べる場所はない。そのせいかもしれないが、いまだに「さすらい」だとか「旅」「別れ」という言葉が、ときとして感傷的な響きとなって胸の奥に突き刺さってくる。昨日まで暮らしていた家に、もう二度と戻ることはなく、仲良く遊んだ友達とも、これっきり会えないかもしれない…。そんな思いを噛みしめながら、でもその寂しさを口にして両親を困らせてはいけないのだと、自分に言い聞かせて、列車に乗り込んだこと…。明日から暮らすまだ見ぬ街や、家や、新しい学校の事に不安な気持ちを抱きながら、車窓から見知らぬ土地の景色を眺めていたこと…。そんな心情や光景を、ふと懐かしく思い出したのである。当時の私は、ピアノを弾く少女ではあったけれど、「冬の旅」という歌曲集の存在については、全く知らなかった。

 私が、初めて「冬の旅」全曲を通して聴いたのは、それから10年後、音大の学生になってからである。オ−ディオル−ムで聴いたレコ−ドの、演奏者が誰だったかは覚えていない。はじめに、救いようのない程暗い曲だと感じ、訳詞と解説を手に、聴き進めていくうちに、益々気分が落ち込んでしまった。けれどもそれは、生々しい痛みを伴ったものではなく、まだ若く健康だった私にとっては、どこか遠い世界にある、自分とは無関係の、乾いた悲しみの心象風景でしかなかった。そしてその時の「冬の旅」は、私の心に、見知らぬ土地へ旅立った、あの幼い日の記憶を呼び覚ますことはなかった。ピアノを専攻していた私には、詩の内容や歌唱より、暗いメロディ−とせめぎ合うような、伴奏部分に惹かれるものがあった。当時からシュ−ベルトの音楽は好きだったけれど、ピアノ以外の器楽曲や声楽曲などには、特別の興味を抱くことなく学生時代が過ぎていった。

  私が、シュ−ベルトのあらゆる作品にのめりこみ、CDを買い集め、コンサ−トに通い、彼に関する著書を読み始めたのは、「不惑」を過ぎた頃である。その後、縁あって、シュ−ベルト協会に関わり、実吉晴夫氏の「邦詩」に出会った。畑儀文さんとも、「シュ−ベルトの手紙」(実吉晴夫訳)を読まれた氏が、協会を訪ねて来られた事がきっかけで知り合い、今日に至っている。

  学生時代、初めて、オ−ディオル−ムでレコ−ドを手に取って以来、もう何度「冬の旅」を聴いただろう…?あるコンサ−トでは、その声楽家自身が、まるで自分が作った新しい歌を即興で披露しているような印象を受けた。また、それとは逆に、昔から歌い継がれた「民謡」と共通する、伝統的なものを感じたこともあった。

 今回、実吉晴夫氏の邦詩による「冬の旅」を聴いて、何故私は、見知らぬ土地へ引っ越していった、子供の頃の記憶を蘇らせたのだろう…?

 冒頭の「おやすみ」の、あの聴き慣れた、重い歩みを暗示するする、ピアノの前奏にそっと導かれるように、気負いのない美しい畑さんの声が、やわらかな私達の母国語で語りかけ、母国語に寄り添い、優しく包み込むような渡辺さんのピアノの音色に、何故か「懐かしさ」を感じた。理屈抜きにである。言うまでもなく、私は、失恋した青年ではないし、菩提樹のそばで帽子を飛ばされた経験もなければ、カラスにつきまとわれたり、年老いたライア−マンに出会った事もない。けれども、邦詩とシュ−ベルトの音楽が見事に結びついて、どこかにあった悲しい物語が歌になったように感じたからこそ、子供の頃の思い出と重なって心の琴線に触れたのだと思う。

  音楽という芸術が絵画や文学と大きく異なるのは、演奏家という媒体によって、それが再現され、それぞれの演奏者によって作品に新たな生命が吹きこまれるからである。ここにある「冬の旅」は、日本人ならばきっと理解されうるであろう、秀逸な再現芸術となっている。クラシック音楽を全く知らない人に、これは、日本の著名な作詞家と作曲家が作った歌曲だと言えば、多分信じるのではないだろうか?でも、その嘘は、裏返えせば、音楽が本物だからこそ通用するのである。唐突だが、唐の玄宗皇帝と楊貴妃との愛をうたった、「長恨歌」の中の有名な一節を借りるならば、邦詩とメロディ−は「連理の枝」となって歌曲のバックボ−ンをあやなし、歌唱とピアノは「比翼の鳥」となって、見事に羽ばたいている。

 このCDを何度も聴いているうちに、ふと、子供の頃に暮らした街へ「冬の旅」をしてみたくなった。

─ 畑儀文さんのCD『冬の旅』を聴いて ─  

今を生きる私たちの心に響く歌

長川泉

  『冬の旅』は演奏時間70分(『第九交響曲』と匹敵する長さ!)にも及ぶ大曲です。名だたる大歌手たちによって様々な解釈、表現がなされてきました。でも、もっと素直な〈恋の遍歴の旅〉の歌ではなかったのではないかしら。十九世紀初頭の美しい自然を背景にして、歌われる曲ではないか? そう、過度の哲学的解釈、音楽的解析がほんとうに必要なのでしょうか。いっぽう、ドイツ語を解さない私のような聴き手が、なぜ、これほどまでにこの曲に心を揺さぶられるのだろう? こんな私の疑問に優しく応えてくれるのが、今回リリースされた畑儀文さんのCD『冬の旅』なのです。実吉晴夫氏の邦詩に寄り添って、日本語の発声はとても明晰で、大作『冬の旅』のストーリィ性、ドラマ性が審らかにされ、私たち日本人の胸にストレートに響いてきます。

 これは少なからぬ驚きです。もちろん、こんな表現が日本人の歌手なら誰でもできるわけではありません。男声で歌うことのできるシューベルトの歌曲を、8年かけてリサイタルで歌い終えた(?)畑さんの、シューベルトの音楽への深い洞察と共感があって結実されたものといえましょう。例えば「郵便馬車」から「幻」にいたる数曲に耳を傾けてみてください。抑制された表現でありながら、ドラマテイック、まさに恋する青年の〈歌〉がここにあります。「霜降る髪」となってしまった私は、愚かだった自らの青春時代にふともどって、心が疼くような感覚を覚えました。そして、「幻」の最後につけられた「幻のしわざで」という邦詩が、こんなに原曲にあっているとは…! 渡辺治子さんのピアノも、日本語に対応するために細やかに弾き込んでいます。「日本語」と「音符」の対応というのでしょうか。それが絶妙で音楽の〈呼吸〉が素晴らしい。〈現代のシューベルト演奏〉が先鋭的表現だけを指すわけではないはずです。今を生きる私たちの心に響く歌──がここにあります。

 畑さんはいうまでもなく、研鑽を積んだ声楽家、それも〈シューベルト歌い〉の第一人者です。でもそれだけではない。畑さんの歌の魅力はその美しい声だけではなく、シューベルトの持つ音楽の本質的なものとの親近性、親密性にあると思うのです。産業革命が進行する前の、あるいは転換期の十九世紀の自然を背景に歌われる自然……。でもそれは必ずしもその時代や土地の「風景」ではなく、人間の「心の故郷」のような自然としてとらえられる。

 さてCDの話に戻ります。生演奏はもちろん素晴らしい。でも冒頭に述べたようにCDは実に便利です。データ通信で好きな音楽を買うことができる現在はさらに便利ですが…。まず一通りこの大曲を聴き通したあとで、自由に自分の好きな曲をリモコンで数曲聴いてみることが出来る。自分だけのダイジェストをつくることが出来るのですね。私だけの『冬の旅』をつくる。これは楽しいものです。言っていることが矛盾しているようですが、音楽は楽しくなくてはね。西洋音楽史上もっとも絶望的といわれる曲を楽しむだって? 何なんだと思われるかも知れませんが、「絶望」をそのまま表出する芸術なんてありません。私たちは、『冬の旅』の主人公の苦悩を「音楽」として再構成されたものとして聴く。これから、ずっと「空しい生」を生きていくために…。このCDはそう思わせてくれるような「歌」を届けてくれるのです。実吉氏はまさに最終曲の最後に「歌の旅に出かけよう!」という詩をつけたのです! 私たちも「歌の旅」に出かけなければならない。と
これは聴き手である私の主観的、明示的判断にすぎないかもしれせん。でも虚心坦懐に耳を傾けていただければ、この日本語のシューベルトはあなたの心に届くと信じています。

 「冬の旅-WINTER RIESE』

 1・11・15・23・24曲目が試聴できます。

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